神社のお宝
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富岡鉄斎 作 (天保7年~大正13年)
京都生まれの日本画家。国学・儒学・仏教を修め、明治9年奈良県石上神宮宮司、次いで大鳥神社の大宮司を勤めた。
中年より四条派・大和絵をも学び、晩年には南宗画派の中心的存在となった。
当時、小倉にあった十条製紙を見学した折、神社に参詣し、その後、奉納した作品と言われる。
藤井玉欄 作 (明治5年~大正12年)
藤井玉欄は、福岡県企救郡企救町徳力の人。
天性の画才に富み、当時に於ける小倉高等小学校卒業後、十六才にして京都の望月玉泉画伯に師事して刻苦研鑚五ヶ年の後、絵の大綱を会得した。
信仰が大変厚く、当時はよく神社に参詣していたそうです。
この2作品は、晩年奉納された作品です。
明治26年(1893年) 河田小龍 作
日本武尊(やまとたけるのみこと)は景行天皇の第三皇子で記紀等では悲劇的な英雄として伝えられている。
本図は天皇から西方の平定を命じられ、女装して熊曾建を討つ場面。
他に相模国で草薙の剣を用いて難を逃れる場面も含め、絵馬によく描かれている。
安政5年(1858年) 村田応成 作
平安時代中期の物語作家・歌人として知られる紫式部が近江の石山寺に参篭して『源氏物語』の構想を練る場面である。
古来、よく描かれた画題であるが、式部が窓の外の月を観る図で表される場面が多いのに対し、本図では従者の童と談笑しつつ筆をとる姿を描く。
金砂子が効果的な、華麗な美人画絵馬の名品といえる。
安政5年(1858年) 石南園(いしなんえん)作
常盤御前は雑仕女から源義朝の妾となり、牛若丸(後の義経)ら三人の子を産んだ。
本図は、平治の乱で義朝が敗れた後、子らを連れて雪中を逃亡する常盤を描く。
最も幼い牛若丸は常盤の懐中に抱かれる赤子として表されている。
悲愴な情景でありつつ、妖艶な印象が漂う。四条派の石南園の画技が冴える絵馬である。