2016年6月26日
神主が言う神葬祭のぶっちゃけ・・・
久しぶりに晴天の日曜日を迎えました。お天気も今日は梅雨の中休みといったところでしょうか。結婚式や地鎮祭、雨が降っていればいつも気が重いのですが、今日はそういった意味で清々しくごほうしできました。そして境内では初蝉の鳴き声を聞くことができました。夏至も過ぎましたので、夏はもうすぐそこまで来ているんでしょうね。
さて、昨日まで神葬祭のご奉仕でした。私自身昨年11月以来のご奉仕で久しぶりだったのですが、ご葬儀に関してはいつもながら気合が入ります。長年ご奉仕していますと、私のような神主ですら少々疑問??に思うことがあります。私が思う神葬祭の一番の仕事、それは『霊璽の浄書』と『誄詞の作成』につきます。霊璽は仏教でいう位牌です。霊璽は個人の和霊・幸霊が宿るみしるしで、ご自宅にお祀りされます。そして喪家の誰もが此の霊璽を見てお祈りを捧げます。そんな祈りを捧げる対象となるわけですから、浄書する際はかなり緊張して気合を入れます。時々私がご葬儀をしていない別の神職が浄書した霊璽を持参され、霊祭の依頼がありますが、たまにびっくりするような字を浄書なさっている霊璽を見かけます。あまりひどい人は油性ペンで書いた霊璽もありました。さすがに見かねて、『よかったら作り直しましょうか?』と申し出ますと、胸のつっかえがとれたようにお願いされるケースもあります。また『誄詞(るいじ、またはしのびのことば)』は告別式の際斎主が奏上する祝詞の事です。これは通夜祭終了後に渡された故人の履歴をもとに作成し、翌日の告別式時に奏上します。つまり前の晩に書いておかないとなりません。これは前もって準備がほとんどできないので、神職のスキルが一番試されます。故人が生まれてな亡くなるまでの一代記を祝詞にしたためます。これもひどいい神主は個人の履歴を一切言わずに終わるそうです。さすがにそのようなクレームを聞いた時は驚きましたが、実際福岡県内にそんな神職がいると情けなくなります。人それぞれ十人十色、まったく同じ誄詞なんて存在しません。常日頃から勉強して、語彙力を高めなければなりません。それに文章の構成力。かなりのレベル要求されます。例文集など存在しますが、例文と同じ人は存在しませんんから、そういった意味で待ったなしのお仕事となります。意外とこのブログ同業者の方も見て頂いてますのであまり過激?なことは書けませんが、国語力、書道力はかなりのレベルが求められます。霊璽も木の上に書きます。墨がにじまないよう各自工夫しております。一般の方でもし神道のご葬儀に参列された際、どうか告別式当日は誄詞を気を付けて聞かれて見て下さい。もしその方のお人柄や生き様などが伝わったなら、レベルの高い神職さんだと思ってい良いでしょう。伝わらなかったら、まだまだ修行が足りないのかと思って下さい。いずれにせよ、たとえお付き合いで参列し、個人を知らなくても誄詞を聞いてその人となりが分かり、共有できることが神道のご葬儀の醍醐味と言っても良いかと思います。最後に、神道の葬儀っていいですよ~~!