2020年6月23日
禰宜のひとり言~世代を超えて
皆さま、こんにちは。
朝から日差しが強く、今日も暑い一日となりそうです。
さて、妙見宮には、献牛があります。
撫で牛、と言ったほうが馴染み深いかもしれません。
撫で牛というと、天満宮をイメージされる方が多いと思います。実は、当宮の社務所内には、天神さまがお祀りされているんです。
しかし、この献牛は、古くから農耕と深い関わりのあった牛に感謝をし、五穀豊穣を願って奉納されています。
もちろん、ご利益は撫で牛と同じで、皆さまいつも撫でられていますよ!
当宮には、代々宮司であった磐梨が記した書物がたくさん残っており、また最近のものになるとアルバムもけっこう残っています。
その中で発見した写真。
今の献牛と異なることがお分かりでしょうか?
この献牛は、大正9年4月に、湯川村の栁井ハン様が奉納してくださいました。
しかし、第二次世界大戦中(昭和16年)に発令された、金属類回収令に伴い、この献牛も国によって回収されてしまいます。
写真の日付が昭和17年とあるため、きっと、回収される前に最後に皆さんで写真を撮ったのだと思います。
その後、戦後になって、栁井様のご子息が改めて奉納してくださった献牛が、今の妙見宮にある献牛です。
今でも、献牛の台座には、栁井ハン様のお名前が記されています。
親から子へと世代が移ってもなお、同じように奉納してくださったことは、とても有難く感慨深いものです。
因みに、2枚目の写真に写っている神職は、以前私の好きな言葉としてご紹介した、第39代 磐梨醇麿(いわなし あつまろ)宮司です。
醇麿宮司は、私のちょうど曾祖叔父にあたります。曾祖父の弟ですね。曾祖父である第38代 磐梨登晄(いわなし たかてる)宮司が早くに亡くなったため、弟である磐梨醇麿氏が宮司となりました。
献牛の他にも、現在古札納所があるところに青銅製の馬が奉納されていましたが、こちらも同様に、軍に回収されてしまい、今では写真でしか見ることができません。
2枚の写真を見比べると、境内もだいぶ変化していることが分かります。
これからも、神社としての尊厳を保ちながら、それぞれの時代にあった神社であり続けたいと思います。