足立山妙見宮 和気清麻呂公創祀全国唯宮 御祖神社

宮司のひとり言~神社の存在意義とは…

こんにちは。本日もご奉読ありがとございます。

今朝の小倉は随分と北風が強く、体感気温はかなり寒く感じました。個人的に5分袖のシャツが9分袖のシャツに変えました…。

福岡県下はまだ緊急事態宣言中です。年明けから会議や研修会、懇親会とほとんどが中止。お店も休んでいるところが多く、お家時間が増えました。最初の頃はストレス(^0^)でしたが、今はすっかり慣れてしまい、毎日晩酌の酒量も厳重な監視下のもとでコントロールされております。

毎日、社務所でご奉仕しながら考えることが多くなりました。昨日たまたま朝日新聞で『お水取り「しないなら東大寺は解散」住職が語る決意』という記事が目にとまりました

春の到来を告げる奈良・東大寺の「修二会(しゅにえ)」(お水取り)が今年も行われます。この伝統の法要は、奈良時代から1270年もの間、一度も途絶えることなく続いてきました。人々が知らず知らずのうちに犯してきた罪を、練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11人の僧が人々に代わって悔い改め、世界平和などを祈ります。期間は、2月20~28日の前行(ぜんぎょう)、3月1~14日の本行(ほんぎょう)を合わせて約3週間です。二月堂という仏堂にこもっての法要のため、コロナ禍でも「密」を完全に避けるのは難しい。そんな中、僧たちはPCR検査を受けて隔離生活を送ったり、参拝者の数を制限して生配信したりするなど、寺はさまざまな対策をとります。「コロナ禍でも続ける」。東大寺別当(住職)の狹川普文(さがわふもん)さん(69)が朝日新聞のインタビューに応じ、強い思いを語りました。――修二回は一度も途絶えることなく、今年で1270回を数えます。コロナ禍で今年も行を変えずに実施するのはなぜですか。修二会は人々のために行う。自分が楽しようと思ったら修二会を中止にしたらいい。でも、それでは東大寺の存在意義がない。修二会があるから東大寺の意味があり、修二会をしなかったら東大寺は解散したらいい。そのくらいのもの。

昨年春より、神社行事はほとんどが中止又は縮小で行われてきました。四季のまつり(春祭、夏越祭、秋祭)は神事は斎行しましたが、神振行事はほぼ中止でした。でもこの神振行事こそが神社では大切であります。氏子崇敬者の安全確保の大切。しかし神事を斎行し、神振行事もできる範囲で行う。何もかも中止というのも何だかもどかしく感じるようになりました。御成敗式目の第一条ではありませんが、神は人の敬いによりて威を増し、人は神の徳によって運を添うように、神と人が一緒にならないと意味がない。多くの人が神社に集い、お神様も喜び、お力を人に与えてくださる。その橋渡しこそが神職の役割と思っております。

神社の存在意義を、住職さんの言葉で改めて気づかされたようでした。